おっと、年末から飲んだくれて体調崩したりしていたら1カ月が経っていた。
5年ぶりに中山競馬場に行ってきました。金杯の日。知らない間にきれいになってガラス張りの部分が広くなっていましたね。お年賀は馬のイラストのタオル。5年前は元競走馬のお出迎えがあってベタベタ触ってたんだけど…やはり従業員が気を使うから廃止されちゃったのかなあ。残念だ。暖かい日だったので屋外のゴール板付近を陣取る。そこらへんで「ヨコノリィィィ」「そのままあぁぁぁぁ」と叫んでいたのは私です。 最近はGⅠすらまともにやっていなかった私がダート未勝利戦なんてできるのだろうか…そんな不安は同行した還暦馬券師・母の審美眼ならぬ審馬眼でぬぐい去る。彼女の見る目は本当にすごい。母がよいと言った馬+ヨコノリをとりあえず買っていたら5Rで馬連14・6倍をひっかけました。やはり現ナマが払い戻されるのは純粋にうれしい。この日の中山は堅い決着が多かったが、母は8Rの馬連54・7倍をちゃっかり取っていた。完全なパドック買い。真似できん。 中山金杯はキョウエイストームを切ってしまい④⑫を買っていたので直線はアツかった。キョウエイストームあんなに人気ないんだったら押さえとくべきだった。石橋脩だし。やはり芝の状態が良かったみたいで内枠で決まりましたね。カリスマサンオペラが大外からやってきた荒れ荒れの時代とは違うようです。 中山を外したので京都金杯は絞って絞って半ばやけくそでシルポートの馬連とワイド流し。これが見事にはまった。あたいは覚えていた。10年くらい前、京都金杯でキョウエイマーチが逃げ切ったことを。古すぎる。しかし京都の外回り1600はえてしてこんなことが起きる。久しぶりに「そのままあ~!」を気持ちよく叫んだ。ありがとう小牧。 気になったのは、枠連がかなりついているレースがちらほらあったこと。特に同枠のときは狙ってみようっと。 【今週の教訓】 やはり今年もヨコノリと外国人騎手。 #
by fugaku38
| 2011-01-14 01:44
| けいば
子供の自殺が起こるたびに繰り返される。「いじめ」とは言いたくない学校側と認めさせようとする両親、メディア。否定すればするほど報道は大きくなる。それを見て、全国のいじめに苦しんでいる子はどう思うのだろう。自分の死によっていじめた相手を社会的に苦しめ、恨みを晴らすことが、唯一かつ最大の手段だと思い込んでしまう子もいるのではないか。報道が自殺を助長している可能性に目をそむけてはいけないと思う。
いじめはなくならない。 何があっても自分で命を絶つことは許されない。 この2つは、メディアは口が裂けても言えない。それは教育行政の大前提を覆し、死者にむち打つことになるからだ。でも、いじめは絶対にいけないとか、命を大切にとか子供にいくら言い聞かせようとしても心に届くわけがない。社会に出ればいじめはパワハラや暴言などと名を変えてあちこちに潜んでいるし、大人が率先して死んでいく国である。そんなうわべだけの言い含めは追い詰められてる子供をますます窮地に立たせるだけだ。 いじめはなくならないのだから、死なない強さを持つ。これに尽きる。本当に自殺を止めたいなら、教育者も記者も勇気を出して本質的な言葉を語る時期に来ているのではないか。 ……………… うーん。寝不足であまり考えがまとまらなかった。いじめと自殺についてはまた書きます。 #
by fugaku38
| 2010-12-08 00:36
| 報道
仕事で忙しすぎて検討ができず結局買わなかったジャパンカップ。なんでもブエナビスタが降着したとか。武もこんな形で今年初のG1制覇ですか。なんともはや。
それにしても時計が2分25秒2て遅すぎないか?ブエナはマイナス0・3秒で入線していますが。タイムを見ると中盤かなりのスロー。それでいて前の4頭が総崩れしたのは一体どういうわけ??だれか教えてください。 #
by fugaku38
| 2010-11-28 23:19
| けいば
先日、自分が収集したアート作品をもとに小さな私設美術館を開いた人を取材した。趣味が高じて自宅をギャラリーにする人はよくいるが、今回は少し様子が違う。場所が人里離れているのと、現代アートに特化していることだ。田舎と現代アート。収益なんぞまったく見込めないのは容易に想像がつく。それを覚悟でなぜ作ったのか聞いてみた。
その人は学生のころから画家と交流があり、30代から収集を始めた。美術館や画廊を巡るのは日課のようなものだった。私も今は美術担当なのでよく行くし、以前から大きな展覧会には足を運んでいた。しかしその人が言うには、美術館に一度も行ったことがない人が大多数なのだという。それもそうだ、日本の庶民が美術を愛でる方法といえば床の間や茶の湯、寺社の御開帳だったわけで、美術館という発想はここ100年くらいのものだ。浸透していなくて当然である。 そして日本の家屋から和室がなくなり、生活から美術が切り離された形になった。その人が収集に興味を持ち始めた1980年代は、重厚な具象絵画からフラットな抽象画への大きな流れができていた。「これからの日本の家に合う絵は抽象画だ」と思い、草間弥生やオノサト・トシノブを集めたという。 「絵は社会を映す鏡。作品を集めることで、その時代を作家とともに生きてみたかった」とも語っていた。現代アートの醍醐味はそこに尽きるように思う。何百年も前の絵を見て感動するのもいいけれど、作品を通して自分の生きる時代を見つめられるとは、なんと素敵なことではないか。 #
by fugaku38
| 2010-11-23 00:21
| アート
先日、久々に落語を聞きに行った。喬太郎、志らく、昇太の三人会。メンツを見ただけで垂涎ものだったが、地方のホールということもあり2500円というお値打ち価格。コストパフォーマンスは最高だった。
喬太郎はこれまで新作しか聞いたことがなく、「井戸の茶碗」が始まった時はどうなるんだろうとドキドキしていたが正直者のくず屋がちょっとワルかったりして喬太郎らしさ全開。井戸の茶碗はみんなで幸せになって一件落着の「WIN-WIN」感があまり好きではなかったのだがこんなに面白い噺になるんだと感心した。 続く志らくは金明竹。噺の聞きどころとなる関西弁の口上が外国人にアレンジされていたがあまりに聞きづらくてちょっと…。分からないんだけどちょっと分かるくらいのさじ加減て難しいんですね。 昇太はマクラが3年くらい前と一緒だったけどそれはそれで笑えた。笑点ネタってどこでも通じるでしょうしね。そして花筏。こういう噺好きです。困ってる人や災難が降りかかる人を演じさせたら昇太の右に出る人はいないかも。 で、喬太郎の古典がえらく気に入ったのでポニーキャニオンから出ているCD「柳家一門名演集(一)」をレンタルして聴く。喬太郎は「擬宝珠」だったけどマクラがなんと20分!長すぎ。それよりさん喬師匠の「寝床」が掘り出し物でした。寝床は枝雀師匠しか聞いたことなかったから新鮮。初めて聴くネタは寄席がいいのでCDはあまり買ったり借りたりしないが、たまにはよい。 #
by fugaku38
| 2010-11-22 23:48
| 趣味
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